大人気ないとは思うのですが、韓国がヤクルトを自国ブランドだと思い込んでる節があるので、誤解されないように取り上げておきます。日本から世界に広がったヤクルトは、まごうことなき「日本のブランド」です。
韓国の長寿ブランド??
韓国ブランドだと誤解しているのか、思い込んでいるのか。それとも日本発ブランドであることを隠しているのか。ソースはこちら。
【韓国の長寿ブランド】500億本売れた国民的発酵乳「ヤクルト」
◇主婦雇用創出…「ヤクルトおばさん」制度
販売量500億本。韓国の食品製品のうち単一ブランドで史上最多販売の歴史を書き続ける製品。ヤクルトのことだ。
ヤクルトは昨年基準で韓国の国民1人当たり970本を飲んだ国民的発酵乳だ。これまで売れたヤクルトの容器を積み上げれば世界最高峰であるエベレスト(8848メートル)の40万倍の高さとなる。
韓国初の乳酸菌発酵乳ヤクルトは1971年に初めて発売された。ヤクルト発売初期に世論は好意的でなかった。「菌にお金を払って飲むのか」という非難を受けたりもした。6月に死去した韓国ヤクルト創業者の尹徳炳(ユン・ドクピョン)会長はこうした世論にも乳酸菌が下痢や便秘予防などに効果的だとして無料試飲行事など積極的マーケティングを継続した。
積極的なサンプリングマーケティングは消費者の認識改善につながり、その後の販売に弾みが付いた。発売から6年過ぎた77年には1日販売量が100万本を超え、国民的間食として定着した。
ヤクルトの訪問販売方式も国民的人気を享受できた秘訣のひとつに挙げられる。尹会長は女性の雇用を創出するために主婦を対象に「ヤクルトおばさん」制度を導入した。71年に47人にすぎなかったヤクルトおばさんは98年に1万人を超えた。
「フレッシュマネジャー」に名前を変えたヤクルトおばさんは現在1万1000人ほど。韓国最高の販売組織のひとつだ。
尹会長は1976年に食品業界で初めて中央研究所の設立を主導した。中央研究所は設立後20年で独自の乳酸菌を開発して乳酸菌国産化時代を開き、現在まで韓国の食品業界を代表する乳酸菌研究の中心地として定着している。◇大容量ヤクルトから凍らせて食べる製品も発売
発売48年が過ぎたいまでもヤクルトが韓国代表発酵乳の座を守ってきたのは粘り強いブランド拡張努力のおかげだ。最近では消費者の意見を反映した多様な商品が相次いで発売され話題になった。
既存の容量65ミリリットルより大きい方が良いという消費者の意見を反映し2015年に280ミリリットルの「ヤクルトグランド」が発売された。既存のヤクルトおばさんではなくコンビニを通じて販売されたが、この製品は酒類を除いたコーヒー、ミネラルウォーターなどすべての飲料部門でコンビニ販売量1位を記録することもした。
既存のヤクルトを凍らせると容器の口が小さく不便だという消費者の意見が反映され2016年に発売された製品が「凍らせて食べるヤクルト」だ。ヤクルトの容器を逆さまにした形にデザインされたこの製品は、口を広げることで凍らせて食べるのに不便さをなくした。この製品は発売直後に毎日20万個以上売れるほど話題になった。
また、2014年12月に発売された「ヤクルトライト」は既存のヤクルトから糖分含有量を50%以上減らした製品だ。この製品は兄を超える弟として活躍し、オリジナルのヤクルトに比べ8倍以上売れるドル箱商品になった。
◇ヤクルトの変身は無罪…「限界のないブランド拡張」
最近では液状スタイルから抜け出し多様な形態のヤクルト製品が発売され再び注目されている。5月には夏の市場を狙いヤクルトの風味を生かしたアイスバー形態の「グランドヤクルトバー」が発売された。さわやかなアイスクリームの中にヤクルトが入っており老若男女だれでも気軽に楽しめるようにした。
6月にはヤクルトに炭酸を加えた「スパークリングヤクルト」も発売された。既存ヤクルトのさわやかで甘い味を維持しながら炭酸を添加し清涼感を高めたのがポイントだ。
この製品にはヤクルトの代表乳酸菌である「HY2782」だけでなく、ビタミンCも入っており消費者の健康まで維持したという評価を受けた。
また、昨年4月にはサーティワンアイスクリームとのコラボを通じて「ヤクルトシャーベット」とアイスクリームケーキ製品が発売されたりもした。
韓国ヤクルトでマーケティング常務を務めるピョン・ギョング氏は「韓国ヤクルトの代表長寿製品であるヤクルトは1971年から消費者の意見と市場状況を反映して変身を繰り返してきた。今後も限界を決めず多様な形態のブランド拡張で市場先導製品としての位置づけを強固にしたい」と話した。中央日報:2019.11.03 13:14
https://japanese.joins.com/JArticle/259199?sectcode=890&servcode=800
韓国ヤクルトの創業者って記述がもうありえない。勝手に創業者を名乗るな。それに中央日報の記事にはヤクルトの要の乳酸菌「Lカゼイシロタ株」の記載が全くありません。謎の乳酸菌「HY2782」なるものが記載されています。
念のためヤクルトのサイトで「HY2782」を検索したのですが出てきません。一体その乳酸菌の正体はなんなのか。「シロタ」の名前を出したら日本のものだと判るから勝手に名前を変えたのか?
ヤクルトがこういうの放置しているのはどうかと思いましたが、ヤクルト韓国営業所のHPもありません。関わりたくないのかもしれませんね。
ヤクルトとは
私も1日1本飲んでいるヤクルト。そのヤクルトに入っているのは「ラクトバチルスカゼイシロタ株」という、人間の腸内で悪い菌を抑える力を持つ乳酸菌で、その乳酸菌を発見し、世界で初めて培養に成功させたのは、代田 稔博士です。
その「Lカゼイシロタ株」を安価で誰もが飲みやすい飲料を作った結果誕生したのが「ヤクルト」なのです。
ヤクルトは人工言語「エスペラント語」
今回初めて知ったのですが、「ヤクルト」という名前はどこかの国の言葉、ましてや日本語ではなく、なんと「エスペラント語」という、どこの国にも属さない、人工的に作られた言語なのです。
「エスペラント語」とはポーランドの眼科医ルドヴィコ・ザメンホフはじめ、その弟子たちが考案し、作成した新しい言語です。そのどこにも属さない言語は、違う言語圏の人々であろうと「伝わる」「伝える」ことを目的にしており、「世界語」とも呼ばれています。(とはいえ、ラテン語に語源をもつ「ロマンス語」の影響が強めだと言われています)
日本では1906年に日本エスペラント協会ができ、二葉亭四迷(ふたばていしめい)が「エスペラント学習書」を出すなど普及活動が始まりました。
そして「ヤクルト」とはエスペラント語の「Jahurto(ヨーグルト)」を元に命名されたのです。エスペラント語の知識がないので、そのままだと「じゃほると」と読んでしまいましたが、きっとちゃんとした発音だと「ヤクルト」に近いのでしょうね(想像です)で、その発音を元に日本語で言いやすく、聞き取りやすい「ヤクルト」にしたのでしょう。
ヤクルト創業者は代田稔氏
京都帝国大学(現在の京大)で医学の道を歩んでいた代田稔(しろたみのる)氏は、不衛生で最近感染で命を落としてしまう子供たちの多い当時の貧しい日本を憂いていました。
予防医学の道へ
戦後の食べるものも満足にない時代、人々の体はちょっとした感染で命を落とす有様だったと言います。その状況を変えるために、代田稔博士は「予防医療」を追求し始めます。
「予防医学」とは、病気にかかってから治療するのではなく、病気にかからないようにすること。この「予防」という観点は、現在の医療でもとても重要になっており、高齢者が増え、医療費が増大することを防ぐ一助になることは間違いありません。
悪い菌に負けない乳酸菌の発見
「予防医学」を追求していた代田稔博士は、微生物研究を進めていました。そしてその研究で腸内細菌である乳酸菌に「悪い菌に負けない」ものを発見したのです。
1930年世界で初めて乳酸菌培養を成功させる
代田稔博士は、見つけた乳酸菌を世界で初めて、強化培養することに成功させます。そしてその乳酸菌に「ラクルトバチルス カゼイ シロタ株」と名付けました。1930年のことでした。
1935年「ヤクルト」誕生
現在では当たり前になりつつある「腸内環境」を整えて健康を守る。これを実行するためには、誰もが気軽に飲める安価な飲み物にすればいい。
代田稔博士は、有志とともに製品開発を行い、「Lカゼイシロタ株」の入った飲み物を完成させます。そうして生まれたのが「ヤクルト」でした。
1940年「代田保護菌普及会」が販売
「ヤクルト」ができた頃は、まだ現在のように「ヤクルトレディ」はおらず「代田保護菌普及会」での販売だったようです。しかしそれは徐々に増えていきます。
1950年ヤクルト株式会社設立
地道に販売を続けていた「代田保護菌普及会」が全国に普及し、1950年、私たちの知る名称である「ヤクルト」がついた株式会社が設立されました。
1963年ヤクルトレディ登場
私も毎週お世話になっているヤクルトレディさんのシステムは、1963年に生まれました。当時はセールスなどの訪問販売が普通にあった時代ですから、当然の流れで生まれたシステムかもしれません。
ただ、めまぐるしく商品の入れ替わるスーパーなどの店頭に置いて販売するよりも個別販売の方が売り上げが良かったため、ヤクルトの販売方法としては最適なシステムでした。
ヤクルトレディの社会貢献
そんなヤクルトレディの役割は、現代において「街の予防医療隊員」「街の見守り役」だと思います。一人暮らしのご老人の様子がわかりますし、彼女たちが街を移動することで空き巣などの犯罪を防ぐことにも繋がっています。
地域の見守りを陰で支える女性たち。「ヤクルトレディ」の知られざる活動とは
前略
■ 地域を見守り続けて40年。ヤクルトレディの取り組み
日本全国の地域コミュニティに深くかかわり、40年以上も前から地域の見守り活動に貢献し続けている企業がある。それがヤクルトだ。
看板商品の乳酸菌飲料「ヤクルト」は、スーパーマーケットやコンビニエンスストアなどの小売店での販売に加え、女性スタッフのヤクルトレディが個人へ宅配、販売を行っている。会社や住宅街で、制服に身を包んだ女性販売員の姿を目にしたことのある人も多いのではないだろうか。一方で、彼女たちが地域見守り活動に参画していることは意外と知られていない。
1972(昭和47)年、福島県郡山市のヤクルトレディが、自分の担当地域で誰にも看取られずに亡くなった独り暮らしのお年寄りの話に胸を痛め、同じように独り暮らしをしているお年寄りに自費で「ヤクルト」を届けた。
彼女の行動に、ヤクルト販売会社や地域の民生委員が共鳴し、やがて自治体までも動かし、「愛の訪問活動」として助け合いの輪は全国に広がっていく。
2015年3月現在、全国142の自治体と「愛の訪問活動」に関する協定を締結しており、4万5000人を超える高齢者に約3400人のヤクルトレディが定期的に商品を届けている。その際に会話などをして安否を確かめ、万が一、通常と異なる状況の時にはあらかじめ決められた方法により、関係先に連絡するなどのアクションを起こす。
訪問活動の中で、具合を悪くして倒れていたところに遭遇した、ガス漏れを発見したといった事例もある。日常的に訪問している彼女たちが、わずかな異変を察知し、細かく報告した成果と言える。
こうした見守り活動は、高齢者個人を対象にしたものばかりではない。「愛の訪問活動」とともに、「地域の見守り・防犯協力活動」も行っている。後略
ハフィントンポスト:2016年03月23日 00時30分 JST 更新 2016年03月23日 00時30分 JST
https://www.huffingtonpost.jp/2016/03/17/yakult-lady_n_9483716.html
初の海外進出は「台湾」
日本国内での人々の健康を守る活動は、世界にも広がっています。ヤクルトが最初に世界に進出したのは「台湾」で1964年でした。災害のとき、困ったときに真っ先に手を差し伸べて助けてくれる大切な友国「台湾」を選ぶなんて素敵です。
世界に広がったヤクルト 事業所一覧
ちなみに現在ヤクルトのHPに記載されているヤクルトの海外事業所です。営業開始年とともに表にしました。まずはアジアオセアニア地域。
事業所 | 営業開始年 |
台湾 | 1964年 |
香港 | 1969年 |
タイ | 1971年 |
韓国 | 1971年 |
フィリピン | 1978年 |
シンガポール | 1979年 |
ブルネイ | 1987年 |
インドネシア | 1991年 |
オーストラリア | 1994年 |
中国 | 2005年 |
広州 | 2002年 |
上海 | 2005年 |
北京 | 2006年 |
天津 | 2011年 |
無錫 | 2015年 |
マレーシア | 2004年 |
ニュージーランド | 2004年 |
ベトナム | 2007年 |
インド | 2008年 |
アラブ首長国連邦 | 2017年 |
オマーン | 2017年 |
バーレーン | 2017年 |
カタール | 2017年 |
クウェート | 2017年 |
ミャンマー | 2019年 |
続いてアメリカ地域。
事業所 | 営業所開始年 |
ブラジル | 1968年 |
メキシコ | 1981年 |
ウルグアイ | 1999年 |
アメリカ | 1999年 |
カナダ | 2007年 |
ベリーズ | 2008年 |
続いてヨーロッパ地域。
事業所国 | 営業開始年 |
ヨーロッパ | 1996年 |
オランダ | 1994年 |
ベルギー | 1995年 |
フランス | 1995年 |
イギリス | 1996年 |
ドイツ | 1996年 |
ルクセンブルグ | 1996年 |
スペイン | 1997年 |
アイルランド | 2004年 |
オーストリア | 2005年 |
イタリア | 2007年 |
マルタ | 2013年 |
スイス | 2013年 |
デンマーク | 2019年 |
国ではなく地域名で進出している場合(ヨーロッパ等)や中国のように国内に複数の事業所のある場合もありますが、かなりの数です。しかしこれだけの国で人々の腸内環境を良くしてくれているのですね。
この表を作る資料にしたページはこちらです。
海外事業所については公式ページ。
「世界の人々の健康を守りたい」という代田稔氏の願い
その後も、「ヤクルト」の営業所は世界中に広がり、代田稔博士の「世界中の人々の健康を守りたい」という願いを叶え続けています。
そんな代田稔博士は1982年に亡くなりました。享年82歳。素晴らしい功績を残した、日本人が忘れてはならない人です。
代田稔記念館に行こう
そんな代田稔氏をもっと詳しく知ることができる「代田稔記念館」もあります。東京なのですぐに見に行けませんが、出張で行くことがあれば覗いてみたい。
ヤクルトへ社会見学に行こう
ヤクルトは、子供から大人まで楽しんで学べる「工場見学」も受け入れてくれています。しかもその種類が豊富なのです。ヤクルトの製造を見るのは当然ながら、ヤクルトの化粧品製造や他の食品工場も見れます。というか、化粧品あるんですよね。ちょっと使ってみたいかも。これは盲点だった。
工場見学は、東北や関東、中部、関西、九州で可能です。(北海道と沖縄にはありませんでした)もちろん、製造品によっては遠くまで行く必要があるかもしれませんが、もし近くにあるなら子供と一緒に出かけてはいかがでしょうか?とても楽しそうなので。
工場見学の詳細はこちらで確認してください。
ヤクルト400
唐突ですが、これが私が飲んでいるヤクルト。店頭にはないヤクルト400。カロリーオフタイプです。一本あたり43kcal。
続けて飲んでいる感想
何年前から飲み始めたのかもうわかりません。でも毎日飲むようになってからは、風邪をひく回数が明らかに減っています。もちろん、日々風邪予防をしていますが、それでも風邪を引いていたのです。でも本当に減った。これはきっと腸内環境が良くなって、免疫力が上がったおかげなのでしょう。
私はこれからも毎日飲みます。
最後にひとこと
最近はクレジット決済もできるようになり、気軽に注文できるようになっています。風邪をひきたくない、ひけない人は是非、予防のために飲んでみてください。続けたら絶対答えてくれる、それがヤクルトです。