今日2月3日は節分ですが、何気なく調べていたら、福沢諭吉の命日でした。折角なので記録がてら雑記に書いておきます。
福沢諭吉
福沢諭吉と言えば「学問のすすめ」や「脱亜論」です。どちらもとても有名ですが、読んだことの無い人には誤解されがちです。と言いつつ、私も読んだことの無い人の一人ですが「どう誤解されているか」は知っています。
というわけで、どう誤解されているのかを簡単に紹介しておきます。
学問のすすめの誤解
よく人はみんな「平等」だと書かれていると思われています。それは冒頭の「天は人の上に人を作らず」だけが一人歩きしがちだからです。
しかしこの文章「天は、人の上に人を作らずと言えり。」の後には「実は平等じゃない」という内容が続いています。
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言えり。されば天より人を生ずるには、万人は万人みな同じ位にして、生まれながら貴賤上下の差別なく、万物の霊たる身と心との働きをもって天地の間にあるよろずの物を資り、もって衣食住の用を達し、自由自在、互いに人の妨げをなさずしておのおの安楽にこの世を渡らしめ給うの趣意なり。されども今、広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲と泥との相違あるに似たるはなんぞや。その次第はなはだ明らかなり。『実語教』に、「人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり」とあり。されば賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとによりてできるものなり。また世の中にむずかしき仕事もあり、やすき仕事もあり。そのむずかしき仕事をする者を身分重き人と名づけ、やすき仕事をする者を身分軽き人という。すべて心を用い、心配する仕事はむずかしくして、手足を用うる力役はやすし。ゆえに医者、学者、政府の役人、または大なる商売をする町人、あまたの奉公人を召し使う大百姓などは、身分重くして貴き者と言うべし。
要は「みんな平等」って言うなら、生まれながらの身分の高さ、低さなんてないはず。でも身分差がある。何故だろう?
庶民の教科書「実語教」には「人間は学ばなければならないし、知識の無い人は愚かな人」とも書いてある。この差が世の中の、医者や学者、手足、力を使う仕事に付く人の差になって現れるんだよね。
といった内容です。さらに短く端的にまとめると「平等じゃないから勉強しなさい」という「学問のすすめ」になるわけです。
ちなみに私はこのことを学校の先生に「この冒頭の文章でもってみんな平等なんだって言ったら恥をかくからね〜」と教えてもらいました。いい先生でした。でもそのお話を聞いていながら全文読んでいないので、私はダメな生徒です。
脱亜論の誤解
こんな記事を書いていますが、実は私も「脱亜論」の著者は福沢諭吉だと信じて誤解していました。でも「脱亜論」は昔あった「時事新報」という新聞の、明治18年(1885年)3月16日社説で、それが後の福沢諭吉の本に組み込まれたため、福沢諭吉の書いたものという誤解を生みました。しかもその内容に対する福沢諭吉の思いは、今に生きる私たちの感覚とは真逆だったと思われます。
これから書くことは今しがたざっと調べた結果判ったことです。要点をリストにしました。
- 福沢諭吉の憂い対象は清国(中国)だった
- 属国の朝鮮半島を日本のように独立させたかった
- 当時の朝鮮は朝鮮王族の酷い支配で国民は酷い扱いをされていた
- 日本に留学しにきていた朝鮮独立派の金玉均(キム・オッキュン)との親睦があり、応援していた
- 1884年に朝鮮の清国からの独立の甲申政変(こうしんせいへん)が起きるが3日で失敗
- 朝鮮王族の命令で金玉均(キム・オッキュン)は暗殺される
- 福沢諭吉は朝鮮に失望し、もう関わらない方がいいと匙を投げる
朝鮮のことを思って行動していた金玉均(キム・オッキュン)を暗殺された時点で「もうこの国はダメだ」と判断したんでしょうね。
とまあ、最初から中国と朝鮮とは関わるなという意見では無かったんですね。でも結果的に「やっぱこの二つの国はダメだ」という結論に達していました。
現在の価値観を持った私から見ても「中国・韓国はいつまでも過去にこだわる約束を守らない国」なので「関わらない方がいい」という結論に達しているので、やはり福沢諭吉先生には先見の明があったと思わざるを得ません。
子供向けがありました。これだと読みやすそう。
漫画版もありました。
最後にひとこと
「学問のすすめ」と「脱亜論」どちらもちゃんと読まないといけませんねぇ。というか、教科書に入れた方がいいと思います。